フランスの作家・映画監督アラン・ロブ=グリエによる小説作品と評論に加え、ロブグリエやアンチロマン・ヌーヴォーロマンに関する評論などが集まりました。


1957年に書かれた小説作品「嫉妬(La Jalousie)」について紹介します。
1950年代半ば~1960年代前半ごろのフランスでは「アンチロマン」(ヌーヴォーロマン)と呼ばれる新しい文学のムーブメントが発生しました。
アンチロマンとは…伝統的な小説のルールを壊すような、反発の意思を含んだ文学作品を指します。(ここで指される「伝統的な小説」とは…娯楽性を含む・起承転結に沿った展開がある・人物の心理が丁寧に描かれる…などの特徴を持った18~19世紀の近代小説のこと。)
ネタバレを避けつつも、ロブグリエの「嫉妬」にみられるアンチロマン的特徴をいくつか挙げるなら、その1つは「語り手」となる存在の曖昧さが挙げられます。語り手が物語の外側にいるのか、内側にいるのかがぼかされ、読者はその客観性と主観性が混ざったような視点について、暗示的な表現のなかを探ることになります。信頼できない語り手が与えてくる情報のみが物語・世界を作り上げていきます。
ほかには、「構造」においても読者を混乱させるような試みがなされていることに気づきます。第一章と最終章のタイトルは「いま、柱の影が………」として一致しており、物語が始まる前から、シンメトリカルな構造を匂わせます。実際読み進めてみると、そこには同じ情景の描写が繰り返される反復的な構造があり、「時間」に対する概念が壊されています。
語り手の視点には癖があり、食事をとる部屋のなかの椅子・テーブル・壁・窓の配置や距離感、誰がどこにどこを向いて座っているか、テーブルに置かれた皿の枚数、窓から見えるバナナ栽培場にあるバナナの樹の本数、登場人物の1人である「A」の寝室のブラインドが開いているのか閉じているのか、太陽の高さ・影の長さ…などを事細かに観察・計測し、情報として読者に与えます。
「空間」「距離」についての執拗な記述の解読に私たち読者は時間と労力を要することになります。「読む」という労力を搾取されながらも、手ごたえが得られるまでには時間がかかるため「ロスタイム」にも似た「停滞」を読書の最中に感じることがあるかもしれません。何者かの視点によって語られる物や人の特徴の詳細には「注意深く」読むことを誘発するような暗示めいたニュアンスが含まれています。時には図を描いて整理することも必要になるでしょう。
暗示に徹し、読者を躓かせ、困惑させ、教訓を残さない。それが「嫉妬」におけるロブグリエのスタイルと言えるのではないでしょうか。そのスタイルは、従来の小説が持っていた「物語性」を否定します。
既存の枠組みを解体し、再構築することを推し進めたロブグリエ。
「新しい小説」としての示唆に富んだ作品に触れてみるのはいかがでしょうか?